みなさま、
年明けから早一月経ちましたが、 お元気でお過ごしでしょうか。
江ノ島から見える富士山は雪化粧して、連日見事な姿を現していますが、 梅の花もほころび始め、春の鳥のさえずりも聞こえ、春の訪れを感じる今日この頃です。
「INVC湘南だより 新年号」、昨年11月から今年の1月にかけての話題をお届けします。
23/11/5 : 国登録有形文化財「松の杜くげぬま」 24/1/5: 母との和歌のやりとり 24/125: 初詣
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<国登録有形文化財「松の杜くげぬま」> 23/11/5
我が家の最寄駅は江ノ電の鵠沼です。ここから徒歩数分のところに、 国登録有形文化財「松の杜くげぬま」があります。 今回はこの素敵な場所のご紹介をしたいと思います。
江ノ電の鵠沼駅から鵠沼海岸に向かって真っ直ぐに続く道の両側は、 明治時代に日本初の計画的別荘地として、1区画3000坪で分譲された地域です。 今では代替わりすることにより、小さな家に建て替わったところも多いのですが、 今でもそのままの姿を留めているところもあります。
そのうちの一つが、1928年昭和3年築の歴史的建造物「尾日向邸(築95年)」で、 鵠沼を象徴する国登録有形文化財「松の杜くげぬま」として2018年に登録されました。
「祖父母から受け継いだ家を、壊さずになんとか残したい。」 その想いで、鵠沼松が岡に95年佇む住宅と庭の緑を守る活動を進めているのが尾日向梨沙さん。
「古い家を所持し続けるのが難しければ、売却するのが一番手っ取り早い方法でしょう。 しかし、土地は更地にしないと売れないというのが一般的。 この家を手放すということは、庭に生きる巨木も、何百種類の動植物の命をも奪うということ。 緑が減ってアスファルトが増えれば、夏の暑さにも加担し、冷房に頼り、 また気温が上がるという悪循環の繰り返し。 そんな未来を想像したら、ここは絶対に守らなければならない、 と自分の使命のように感じています。」
そして、建物存続のためには、「地域の方にその存在を知っていただき、 地域のコミュニティスぺースとして利用してもらうことが大切」と言われます。 その尾日向さんの想いに共感する人たちが、この松の杜の邸宅内でヨガ教室や写経教室などを開き、 ヴィオリン演奏会や琴の会などのイベントを開催しています。 このような教室利用やイベントなどの収益が、建物の修繕費や庭の管理費に活用される というサイクルです。
我が家の散歩コースの途中にあるこの「松の杜」。 各種教室の他にも、門の前に長野県からきた八百屋さんが店を広げていたり、 キッチンカーが停まっていて中のお庭で食べられたり、 「無料のコンサートへどうぞ」と誘ってくださったりと、 入ってみようかなと思わせてくれるオープンな雰囲気です。
もう何度も訪れていますが、門を入ると広いお庭があり、 そのお庭に面した和室のお部屋で色々な教室が開かれています。 和室の奥には洋館もあり、そちらもとても素敵な雰囲気。 マーケットが開かれると雑貨や洋服などが洋館の方で売られていたりします。
様々なイベントの中の一つに「お松フェスタ」があります。 鵠沼別荘地開拓時代、住民たちが砂止めや敷地境界のために植えた黒松は、 鵠沼松が岡の景観を象徴する存在。 尾日向邸の敷地内には20m級の松が何本もあり、 藤沢市の保存樹木に指定されているそう。 この松をイベントの中心の据えたのが「お松フェスタ」です。
イベント当日は、松の剪定方法のレクチャーや松についての講演会が開かれ、 庭では、剪定した松の枝を使って作ったスプーンやバターナイフ、 松の葉の染め物、松についての本、 松葉から作った松葉ジュースなどを売るお店が並びます。
我が家も松の杜のヨガ教室に参加したことがあることから、 剪定した後の松の枝をいただいて帰ったことがあります。 これまで松と言えば、「お正月花の花材」と思っていましたが、 丁寧に手入れされた松の枝からは、とてもいい香りがしました。 我が家では松の葉で酵母を起こして、パンを焼きました。 枝ぶりを眺めるだけの少し遠い存在だった「松」が、ずいぶん身近な存在になりました。
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<母との和歌のやりとり> 24/1/5
一年前の母からの年賀状に次のような文章がありました。 「湘南だよりをありがとう。あの文章はすべて和歌になりますから うたをお詠みなさい。」
母の世代の人は和歌を詠む人が多かったように思います。 母は国文系の教師であった祖母から万葉集を学び、ずっと和歌を詠んできた人です。 側でそれを見てきた私も、自己流ですが和歌を詠んできました。
上記の母の文章を読んで、 「そうか、和歌を詠んで母に手を入れてもらうことにしたら、 母も喜ぶかもしれない」と思いつき、 去年の春から<和歌のやりとりプロジェクト>を密かに計画。
いくつか和歌を書き溜めたら、往復ハガキを買ってきて、 母が手元に置いておく方と私の方の戻ってくる方、両方に和歌を書きます。 戻ってくる方のハガキには、そのまま出せるように上半分に住所を書き、 下に何か書けるように空けておきます。
去年の母の日に集まってお祝いしたことなどを和歌に詠み、 1回目の往復ハガキを出したのが七月。 この1回目の和歌は程なく素敵に添削されて戻ってきたので、 無事にこのプロジェクトが開始されたことを、密かに喜んでいました。
2回目のハガキを書いたのは、九月。ところが、これがなかなか戻ってきません。 届いたかと問えば、届いてないと言います。 実家に帰った時に、新聞紙の束や紙類を整理していて、やっと見つけました。 「ここにあったよ」と伝えては見たものの、その後ずっと戻ってこなくて、 このプロジェクトはもう続かないかなあと、内心ちょっとがっかりしていました。
そうしたら、このお正月、1/5に 和歌を書いた往復はがきが戻ってきました。 もう戻ってこなかと思っていたので、母が少し元気になったように感じてとてもうれしく、 早速読みました。
「私のいるうちに上手になってください。たのしみにしています。質問があればどうぞ。 文語体と口語体に気をつけて。」と書いてありました。
母はこのお正月に97歳の誕生日を迎えました。 昨年末から足にできた低温火傷のために在宅医療が始まり、 要介護1となって週2回ヘルバーさんが入る介護生活が始まっています。
それでも食欲旺盛で、弟の手作りの食事は美味しいらしく、 電話をかければいつもの母の声がして、ほっとします。 今年もまだまだ元気でいてくれればと願っています。
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<初詣 24/1/25>
様々なことがあった今年の年明け。 個人的にも動けなくて、恒例の江ノ島神社への初詣が伸び伸びになっていましたが、 良いお天気になったので、家族でお参りに出かけました。
いつもの川沿いの散歩道を歩けば、池でカワセミがお出迎え。 ピピっと鋭い声がしたかと思うと、美しいブルーの鳥が素早く目の前を飛んでいきます。
江ノ島の弁天橋は、なかなかの強風。 でも富士山は大変美しく、雪化粧して裾野まで見事な姿を現しています。 裾野のブルーと、緑がかった海のブルーの濃淡が本当に美しい。 風は冷たくても、思わずじっと立ち止まって見惚れてしまいます。
参道を登って、右側にある裏道から、まずは一番上にある「奥津宮」を目指します。 右手に相模湾を見下ろしながら、急な坂を登っていきます。 ここからも、広大な大海原を背景に富士山が目の前に見えます。
奥津宮はとても静か。天井にある「八方睨みの亀」を見上げ、 三姉妹の一番上の「多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)」に手を合わせ、 世界の平和を祈ります。隣にある「龍神様」にもお参りしました。
引き返して、階段を下り、再び上ると「江の島灯台」の広場に出ます。 日当たりの良い場所の椅子を選んで、テイクアウトのコーヒーで一息。 植物園の庭を散策してから道を降りて、 「市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)」をお祀りしている中津宮へ。 ここには「水銀窟」があり、柄杓で水をすくって、静かに流すと、鈴の音のようないい音がします。 中津宮の近くにある見晴台に立つと、いつもセミナーを開催しているヨットハーバーが見えます。
最後は一番大きな「辺津宮」。お参りの人が並んでいて、雅楽の音がしており、 まだまだお正月気分が味わえます。 列に並んで、「田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)」にお参りします。 人々の穏やかな日常と世界の平和を祈り、 お守りを頂いて帰途につきました。
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それでは、今号はここまで。 ご感想、ご近況など、いつでもお待ちしております。 ytprimrose09@gmail.com 世界の平和を切に願い、 戦地や被災地の方々の日常が早く戻り、 穏やかな暮らしが戻ってくることをお祈りしております。
また、次号でお会いしましょう! 春の香りはするものの、まだまだ寒い日も続きます。 どうぞ、お身体ご自愛くださいませ。
INVC暮らしとアートの研究所 https://nonverbal-invc.com 東山安子
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