| みなさま、連休をいかがお過ごしでしたでしょうか。 湘南は相変わらず多くの人で賑わっていました。
海上にはサーフィン、ドラゴンボート、カヌー、ヨット、 ビーチにはたくさんの人、青空には悠々と舞う鳥たち。
江ノ電は20年ぶりに「700系という新型車」が走っており、 線路際でカメラを構える人が増えました。
では、湘南葉書No.2、 「母の日」に因んでお届けします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー <湘南葉書No.2>
もうすぐ母の日。
三年前、コロナ禍明けに久しぶりに私たち三人の子どもが集った母の日。 母はとても楽しかったようで終始ご機嫌でした。
昨年の母の日も、一緒に楽しく過ごした写真が手元にあります。 我が家から「もぎたての枇杷の実」や「紫陽花の花」を持っていって、 一緒にお昼を食べました。
しかし、今年の母の日に、一緒に過ごす母はもうすでにいません。
旅立ったのは先月。 白寿、大往生でした。
母は茶道が好きで、縁のあった松江は京都・金沢と並ぶ 「日本三大茶処」の一つ。ここでで不昧流に出会い、 数年前までずっと自宅の茶室でお茶を教えてきました。
不昧流を始めた松平不昧公の命日は4月24日。 この日は松江では市の定めた「茶の湯の日」となっており、 お茶屋や和菓子店で特別なイベントが催されます。
母はこの日に逝きました。母の意思を感じると共に、 不昧流と共に生きた母らしい選択だと感じました。
万葉集が大好きでずっと短歌を詠んできた人でもありました。 自宅で「和歌の会」を開き、会が終わると手書きで和歌をしたため 毎回送ってくれました。
三年前の年賀状で、 「湘南だよりの文章はすべて和歌になりますからうたをお詠みなさい」 と言われ、往復はがきに毎回五首ほどの短歌をしたためて母に送り、 添削してもらっていたこと、以前の湘南だよりに書きました。
この往復ハガキを使った短歌のやり取りが続いたのは、2年半ほど。 母がいなくなって見ると、 母と心を通わせた証が手元にあることはありがたいことです。
母は音楽も好きで、私の娘たちや孫のピアノやバイオリンの発表会には 必ず来てくれましたし、自分でも弾いて楽しんでいました。 幼い頃、寝る前には「川」とか「水車」と言ったコーラスの歌を 歌ってくれたことも、懐かしい思い出です。
上野の文化会館での音楽会にもずいぶん一緒に行きました。 ベートーベンの交響曲第六番「田園」が大好きでした。 田園は「自然への愛と田舎の生活の喜びを描いた名曲」と言われ 明るく穏やかな田園風景や鳥のさえずり、小川のせせらぎが 感じられる曲です。母の人柄にぴったりな曲だといつも思います。
草花も大好きで、可憐に咲く小さな花を好みました。 実家に行くといつも帰り際に「お花持っていって」と言いながら シャベルを片手に小さなお花を根っこから掘って、器用に包んで 渡してくれました。そうやって持ち帰った「宝鐸草」「スズラン」「シラン」 「白丁花」「未央柳」「つわぶき」など、たくさんの花たちは我が家の 庭で元気に育っています。
母から学んだことが三つあります。一つは「祈る」こと。 「祈っているからね。」 葉書の最後にいつも書かれていた言葉です。 母がいつも祈ってくれていると思うと、大きな安心感に包まれます。 いつも大丈夫と言ってもらえているようで。
二つ目は「待つ」こと。 母はいつも穏やかで、心の安定した優しい人。精神力の強い人でした。 叱られた記憶がありません。「信頼して待つ」それが母の態度でした。 信頼されていることを感じると、自由な行動に責任を持つようになるのです。 三つ目は「今日を生きる」こと。 「今日という日はもう戻ってこない。だから一日一日を大切に生きなさい。」 小学校の頃に言われた言葉です。ずっと頭の中に残っています。
「お母さんを見習って100歳まで元気で生きるから応援してね」 と最後の手紙に書きました。
もう一度母の言葉を噛み締めながら、 一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。
またお便りします。 どうぞお元気で。
東山安子 ytprimrose09@gmail.com https://nonverbal-invc.com
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